旧・無印吉澤

昔はてなダイアリーに書いていた記事のアーカイブです

米国防総省、問題の『ライフログ』プロジェクトをひそかに打ち切り(WIRED NEWS)

http://www.hotwired.co.jp/news/news/culture/story/20040206206.html

Next TodayにてMSのMyLifeBitsが取り上げられているのを読んで、ちょっと前に読んだこのニュースを思い出しました。

同省の研究部門である国防高等研究計画庁(DARPA)が運営にあたっていたライフログ・プロジェクトでは、個人の言動や、目にしたもののすべて――かけた電話、見たテレビ番組、読んだ雑誌、購入した飛行機のチケット、送受信した電子メールなど――を1つに集約することが目的とされた。一見脈略のないこの膨大な量のデータの間に関連性を見出し、人間関係や記憶、出来事や経験を相関図にするというのがDARPAの計画だった。

プロジェクトの支持者によると、すべてを書き留めるこの「日記」は、ほぼ完璧なデジタル記憶装置に発展する可能性があったという。ライフログの対象となったユーザーは、コンピューターの助けを借りて、これまでの自分の行動を全く欠けることなく思い出せるというわけだ。一方、市民の権利を擁護する側は昨年の5月にこのプロジェクトが発表される(日本語版記事)と、ただちに激しい反発を表明(日本語版記事)、ライフログが国家にとって危険と目される人物を特定し、具体的に絞り込む究極の手段として利用されるかもしれないと批判した。

このプロジェクトの試みは面白いですし、もし実現したら僕(記憶力が人並み未満)だったら絶対飛びつきそうだったので、このニュースを読んだときは少しがっかりしました。まぁ、確かに国レベルでやると誤解を招きやすい研究でしょうから、代わりに企業レベルで(MSを企業レベルと言うのはどうかと思いますけど……)蓄積した情報を有効活用する技術を発展させていってほしい、と思います。

ただ、そういう技術的な話とは別に最近ちょっと気になっているのですが……ライフログほどに大袈裟なものでないにしても、例えば普通に会社に勤めている人たちが勤務中にこの手の「ログ」を記録したら、その所有権はやっぱりその会社のものになるんでしょうか? もしそうだとしたら、プライバシーの問題以前のところで「会社にとって危険と目される人物を特定し、具体的に絞り込む究極の手段」としての社員監視が正当化されてしまうような気がするのですが。

まぁ、監視は言い過ぎだとしても。こういう情報の蓄積が自動化されると、その情報の所有権が時として自分以外の団体(企業や国家)に移ることで、せっかく一日中記録できる情報が権利関係でコマ切れにされてしまって使いにくい物になる可能性もあるんじゃないかなぁ、とかなんとなく妄想してしまいます。